初めてみたテレビ番組は近所のお風呂屋さんで力道山のプロレス中継。近所の家で見せて貰った横綱大鵬の相撲中継。こんな幼いときの思い出に残ってる歌はかず少なくて当たり前だが、記憶に残ってるのは赤銅鈴之助ぐらいだ。小学校4年ぐらいから歌謡曲を口ずさむようになった。1965年に「ザ・ベンチャーズ」2回目の来日で日本の音楽が変わった、その影響力は相当なものだったんでしょう。加山雄三の歌を毎日唄ってたな。中学3年のとき、1学年下の陸上部の子に初恋をした!でも一言も交わせなかったぞ・・・ちくしょう!今ごろどんな生活してるんだろう?太って醜くなってるかな?それとも昔のまんまだろうか?逢いたい、今は幸せだろうか?
1970年万博が開かれた、月の石を見に行って長蛇の列に嫌気がさして結局見ずに帰ってきた、みても何も起こらないけどね・・・。この年頃から洋楽にも耳を傾け始めた、ショッキングブルーのヴィーナスは数年後に長山洋子がカバーしたけどイマイチだった。ガソリン1リッター50円弱、ホンダDAXで走り回った熱い時代、直線の亀!コーナーのナメクジ!と馬鹿にされた記憶がある。ホットケ!
この時代も相変わらず孤独だった。仕事が安定せず妻や子に苦労ばかりかけた、心は荒んでいた。この時代の流行歌を聴くと心が痛むけど、いい歌もたくさんあってカラオケでたまに唄ったりする。
歳は大人だけど中身は子供のままだった。そんな傷心時代、数々のヒット曲の中から特に感嘆深い曲は「恋人よ」「シルエットロマンス」等
仕事が順調になると落ち着きが出てきて少し大人になったかと思ったが、今振り返ってみればそれは勘違いだった。慢性潰瘍を患い病院通いが長く続いたし、仕事に追われて歌はほとんど聴いてない。たまに付き合いでカラオケに行っても古い歌ばかり唄ってたなぁ・・・この頃は既に歌の黄金時の面影はなく、テレビ中継がほとんどなかった。だからアイドルも出て来にくい時代だったけど、こんな時代にメジャーになれる歌手は資質がいい証拠でもある。米米CLUBや徳永さんが最高!
2010-04-13T21:04:41+09:00